
( 2006年3月24日撮影 )
| 和暦 | 西暦 | 時代 | 出来事 |
| 神亀元年 | 724 | 奈良時代 | 全寿仙人熊野山に居住し、梛木の洞中で修行し、熊野宮の基を開く。数年後「牛王宝印」を受ける。 |
| 仁和元年 | 885 | 平安時代 | 光孝天皇は勅使を遣わして社殿を造営させ、「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額をくだされる。熊埜神社別当として隣地に全寿院法華寺を建立する。 |
| 天暦三年 | 949 | 平安時代 | 正月七日神託により、正月十四日の晩氏子集まって、27本の筒と梛木の葉と米を混ぜて粥をつくり、一年間の農作物の出来栄えとその年の吉凶を占う神事をおこなうこととなった。(筒粥神事) |
| 承安四年 | 1174 | 平安時代 | 源義信の子延朗、熊埜宮に参篭していたとき、諸国は旱魃(かんばつ)で苦しんでいた。高倉天皇は熊埜宮に勅使を遣わし、延朗に雨を降らせるように祈らせた。延朗は直ちに龍頭を彫り、八大龍王を勧請して雨乞いをすると、大雨が三日三夜降り続いた。 |
| 元暦元年 | 1184 | 平安時代 | 正月八日、源頼朝は平家追討の祈願を熊野宮大前に祈った。怨敵退散、悪魔降伏のシメ縄(大蛇に模し二十尺 約6メートル)を造り、東西南の村境に懸けさせた。これが師岡の「しめよりの神事」のおこりである。 |
| 観応二年 | 1351 | 室町時代 | 6月17日夜半、落雷のため社殿が焼失。しかし神宝・神体等は「の」の池に投入して無事であった。 |
| 貞治三年 | 1364 | 室町時代 | 熊野山縁起完成。別当法華寺住僧端海が書いたもの。社宝として現存している。 |
| 正徳二年 | 1712 | 江戸時代 | 師岡熊野神社の現在の本殿が建立された。 |
| 昭和六十年 | 1985 | 昭和天皇ご在位60年記念事業として熊野郷土博物館を開館する。 | |
| 平成元年 | 1989 | 御大礼事業の一環として、斎館新築、境内整備、石灯篭の建立、「い」の池の池護岸整備、駐車場整備をする。また神社鳥居脇に荘厳な石積が奉納された。 | |
| 平成十三年 | 2001 | 内親王殿下誕生記念事業として、稲荷社周辺の整備をする。 | |
| 平成十八年 | 2006 | 氏子総勧進による「平成の大修造」竣工。本殿修復、覆殿、幣殿、翼殿を新築、社務所を増築する。 |

師岡熊野神社の牛王法印です。熊野権現のお使いである八咫烏(ヤタカラス)の集合文字によって描かれている護符です。もとは牛の胆汁を水に溶き厄除けとして額などに印を押したものがはじまりらしいです。
一説によると、牛黄(ごおう)の胆のうにできる結石は貴重な霊薬として用いられたので、それを護符やお札の朱印に用いていたことから牛王法印と言うとの説もあります。
鎌倉時代には誓約文として、江戸時代には起誓文(起請文)として、この牛王法印の裏に誓詞を書き(牛王誓詞)、神仏の力をもって誓ったようです。牛王法印によって誓うということは神にかけて誓うということであり、誓いを破るようなことがあれば、たちまち神罰を被るとされていました。
誓紙に用いられた他、家の中や、玄関に貼れば、盗難除けや厄払い、家内安全の霊符として効力があるとされています。又、祈願紙として用い願い事を書いて捧げることで、神に届くとされているようです。

2006年3月に師岡熊野神社に参拝した時宮司さんにお聞きしたことですが、本殿は築300年になりますが地元の欅を使って建てられていることと、覆い殿があったことでこのように300年も持ったのでしょうと話されておりました。今回の本殿修復の大きな工事は屋根を葺き替えたことだそうです。(2006年3月撮影)

師岡熊野神社本殿の千鳥屋根に載っていた木製の鬼カワラ?
屋根は柿葺き(こけらふき)と言ってさわらの木を板状にして束ねて竹釘でおさえていく屋根の葺き方だそうです。その上を銅版でおおっているそうです。(水きり銅版)

師岡熊野神社本殿の屋根葺き替えて降ろした300年前の柿板(こけらいた)です。(2006年3月撮影)今ではこのような工事をしてくれる屋根職人、宮大工さんの数が少ないので大変だったようです。平成の大修造には4億2千万円ものお金がかかったと話しておられました。